2020年10月15日木曜日

短気だと思っていた自分自身

なかなか、人からそうは見られませんけど、自己評価はずっと「短気」でした。

気が短くて、すぐにイライラする。

で、あるとき、バクハツしちゃう。

性格だから、しょうがないよね。自分でそう思ってました。

なんのことはない、自分を偽(いつわ)って生きてきたから、簡単にバケの皮がはがれていただけのことでした。人には見せないけど、自分はわかる。

自分にウソをつくわけ。

「人に合わせなきゃ!こうあるべきだ!って。」

それを才能とは言えないだろうけど、人に対して、結構「こうあるべき。」という外ヅラを作ってこれたわけね。

で、そんなふうにできたことを、自分で「できた。」って自己評価してきたわけ。

そんな風だから、チャクラとか、スピリチュアルとか、そういうのが見える人がいて、「あなた、自分自身がからっぽだよ。」と言われたのは、のちのちになって、ハッとして、ショックでした。その時は「そうなの?」と思う程度だったけど、サーッと意味を知るわけですね。

それからは、無理に人に合わせるのをやめました。

完全にはやめられてはいません。でも、意識を整えることは努めていました。

でね。

ふと、あら?短気じゃないかもという自分をようやく発見してます。

母親に対してもイヤな顔をしなくなりました。

イラッとはするけどね。

我慢するわけでもなく、受け止めて流せるみたいなことは、以前では無理でした。

他の場面でも、変わりつつあるようです。

意識って大きいんだね。

2020年10月12日月曜日

小さな花束のような木

 


道ばたに、まるで緑色のブーケのような小さな花束が生えているみたいだ。

もちろん、これから街路樹になるはずの植えられた苗木なんだろうけど、まわりは、ただ野草が生えているだけで、街路樹らしくない。


秋は、ますます深まっていて、休耕田にいっぱいのセイタカアワダチソウの黄色い花が咲いていた。この花は知らない間に、どんどん伸びて大きくなって、広がっていくためか、あまり好きだという人を聞かないけど、ぼくは好きだな。

この花は、秋に黄色い花を咲かせるけど、冬の到来をイメージさせる花だと思う。冬が間近になって風が冷たくなると、その名のように泡のような白い花になる。この季節にぴったりの花だと思う。

Pinterest(ピンタレスト)に投稿してみました。

木のある風景(ボード)

2020年10月6日火曜日

視界良好20センチ


コンタクトレンズを外したあとで、メガネをかけるというのは、どうにもわずらわしいもので、外ではさすがにメガネがないと困るだろうなと思うんだけど、家にいるあいだは、メガネをかけずに過ごすことが多い。

裸眼の視界は20センチくらいで、それより遠くの景色はまあ、ほどよくボケて見える。

腕を伸ばすと、爪の先すら、はるかかなたで、指先もぼやけて見えない。

不便は不便だ。こうしてパソコンで文字を打っていても、まったく文字は見えてはいない。ある程度、文章の区切りになって、顔をディスプレイに近づけて、確認する程度だ。

でも困ることは、意外にない。ぼやけていても、だいたいの位置関係はわかるので、階段を踏み外すこともないし、風呂上りにパンツを裏返しではくこともない。

ふだん、見ているようで見ていないんだなと気づくことも多い。人は記憶と想像の中で生きていると言ってもいい。そんなことが実感できるのも、この視界20センチの視力のおかげかもしれない。

短気だと思っていた自分自身

なかなか、人からそうは見られませんけど、自己評価はずっと「短気」でした。 気が短くて、すぐにイライラする。 で、あるとき、バクハツしちゃう。 性格だから、しょうがないよね。自分でそう思ってました。 なんのことはない、自分を偽(いつわ)って生きてきたから、簡単にバケの皮がはがれてい...